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執筆者の写真美千代  謡三昧。日々喜々。

武将たちが、死して落ちる修羅の道


「今日の修羅の、敵(かたき)は誰(た)そ。

なに能登の守、教経とや。

あらものものしや。手なみは知りぬ。

思ひぞいづる壇の浦の。」


屋島のキリ(最後の部分)

源義経が旅僧達の夢の中に現れ、

戦いの姿を見せる。


「修羅道」は仏教に説かれる六道の一つ。


醜い争いをした人が生まれかわる世界で、

ずっと激しい戦いを繰り返し、

苦しみや怒りが絶えないところだと言われます。


能の世界では、武士は殺生を行った罪により

永遠に戦いの続く「修羅道」に堕ちる。


武士をシテ(主役)とした能は「修羅能」と呼ばれ、

主人公たちは亡霊の姿として現れ、

修羅道に堕ちた苦しみを訴えます。


戦に勝った義経も例外ではなく、

修羅道に堕ち戦い続ける。。


「修羅能」では、

平家物語などに材をとった

源平の合戦の武人が多く登場します。


平清盛が天下をとって数十年。

平家の公達たちは、

風雅に親しみ穏やかな日々を送っていましたが、

源氏の挙兵により、

いきなり合戦の只中に放り込まれます。


敦盛は笛を、

経正は琵琶を、

忠度は和歌を捨てて

手に太刀を持ち戦場で散っていくのです。


そして、本人の意図に関係なく

武人として修羅道に堕ちていく。


こんなはずでは。。。。


修羅能はそんな主人公たちの

苦しみ、哀しみの能。

「鎮魂の芸術」と言われる能の神髄かもしれません。


多くの場合、修羅能の主人公は僧に

この苦しみから救ってくれるよう

回向を頼むのですが、

本当に救われたのかは分からないまま

消えてしまいます。


彼らは今もどこかで戦い続けているのではないか。。


そんな想いを抱かせます。










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